
岸田政権の右腕と言われる、木原誠二副官房長官。
渦中の人物でもある木原誠二さんの妻、郁子さんが昔歌手デビューしていた事がわかった様です。
銀座ホステスとして木原誠二さんに見染められるほどの美貌なので芸能活動していてもおかしくはないですね。
そして、歌手になったきっかけは、兄だったとか?
また、歌手の頃の芸名や、木原になる前の旧姓も判明しているようです。
早速、見ていきたいと思います!
1|木原誠二の妻の名前の経緯
−1|木原郁子(2023年現在)

2014年に銀座のホステス時代に知り合った木原誠二氏との間に子供ができた事で再婚。
現在は木原性となり『木原郁子』さんとして、VERYのモデルも務められていました。
エルメルなど高級ブランドが大好きな事がよくわかります!
−2|旧姓は舩本で木原までの経緯
1979年に、船本家の長女として愛知県に産まれました。
父親は警察官、母親はエステサロン経営をされているそうです。

22歳の時に、モデル仲間の安田種雄さんと結婚し、安田性となりました。
2児の母となるも、郁子さんの不倫が原因で離婚話が上がっていたそうです。
疑惑となっている安田種雄さんの死により、未亡人という形となった郁子さん。
ここから、木原になるまでに、苗字を船本に戻していたかは調査中です。

2014年、銀座のホステスをしていた時に一目惚れした木原誠二さんと付き合い妊娠、再婚され「木原性」となりました。
2|木原誠二の妻はURAN名で歌手デビューしていた
−1|楽曲「おせっかい」でデビュー

1999年10月21日、木原誠二さんの妻、郁子さんが19歳か20歳の頃、
URANという名前でCDデビュー
していました!
楽曲は、
- おせっかい
- ラブ・マネー
の2曲が収録されていた様ですが、残念ながら歌詞や音源は入手できず。
どんな、おせっかいとラブマネーをしていたのか、物凄く気になりますのでもし見つかりましたら追記いたします。
−2|URANの名前の理由は底知れぬパワー
木原誠二さんの妻、郁子さんの歌手名がURANとなった理由は、
原子の【ウラン】のように底知れぬパワーを秘めてデビュー
でした!
実際、ウランの様に底知れぬパワーは発揮される事はなく、この1枚のリリースで歌手活動は終了したようです。
しかし、本当は底知れぬパワーを秘めた人材だった事が皮肉にも20年以上経って発覚したのかもしれませんね。
−3|音楽は兄の影響

週刊文春によると、木原郁子さんにはバンドマンの兄が居たようです。
結婚の話が出たとき、バンドマンだった彼女の兄が『式をやってもいいけど、(その費用を)結婚生活の資金にしてもいいんじゃない』と提案。結局、式はあげなかった
週刊文春電子版
高校時代からモデルの仕事をしていた延長線上のCDデビューではあったと思います。
しかし、兄という近い存在が音楽をやっていた事で、歌手を志した可能性もありそうですね!
今回は、渦中の人物木原誠二氏の妻、郁子さんの旧姓や歌手活動についてご紹介いたしました。
高校生時代からモデルをしていたという事で、URAN名で歌手デビューもその一部だったと思われますが鳴かず飛ばずだったようで1枚のリリースで終了となっていたようです。
その後は、安田種雄さんと結婚、死別(疑惑)し、2014年木原誠二さんとできちゃった再婚をされていました。
波瀾万丈な人生ですが、疑惑の真相が気になりますね。URANの様に底知れぬパワーで解決してほしいです!